世界の装身具-指輪・耳飾り-ハンドリングゼミ 第1回ここでは、会員のゼミでの感想や気づいた点、意見、お寄せいただいた図書資料情報などを掲載します(順不同)。 土田 慶太さん 私は今まで、装飾性や宝石の希少価値が重視される装身具ばかりを見てきましたが、数年前から自分が身に着ける装身具の意味を考えるようになり、元来の、まじないの力に期待して作られた装身具のデザイン、ラッキーモチーフなどについて勉強するようになりました。今回から始まった指輪・耳飾りゼミでは、正にまじないの力や強く期待して作られた装身具を、たくさん手に取って観ることが出来るので、次回以降も非常に楽しみです。 沢村 つか沙 さん 今回はアジア圏をメインに中国少数民族や韓国、インドなどのリングや耳飾りをハンドリングしました。 戸倉 博之 さん 学生時代、オスマントルコ史専攻と考古学でした。 指輪3、チューリップ・モチーフだとすると、、、 チューリップといえば、ほとんどの方はオランダをイメージされ、観光なら世界的に有名なアムステルダム・スキポール空港郊外のキューケンホフ公園を思い付かれると思います。 この花の実際の原産地は、トルコの現在の首都アンカラを要するアナトリア地方、トルコのエーゲ海地方からクリミア半島、イランからパミールを抜けて中央アジアにまたがる地域が主産地で、10世紀頃のペルシャが原産ともいわれています。 オスマントルコ帝国最盛期の皇帝(スルタン)スレイマン1世(1494~1566年)時代に 指輪3のように、いつ中国に入ったのかは現時点では定かでは有りませんが、上記で記した原産地パミール高原から中央アジアへと有るように、元来、トルコ(チュルク)は遊牧騎馬民族です。今後、ゼミでも取り上げる東・西トルキスタン国はトルコ系です。ちなみに東トルキスタンは現在の新疆ウイグル自治区、西トルキスタンは、ウズベク、カザフ、キルギス、タジク、トルクメニスタン。交易で伝わった、と。 チューリップが日本に伝わったのは1828年頃だと思います。 指輪13、14のラダックは、カシミール・サファイアの産地です。ラダックのイメージは、それしかないです。 耳飾り3のモチーフは何でしょう?。 ぶどう、しか思い浮かびません。ぶどうならメジャーなモチーフですね。 耳飾り9のぐるぐる・モチーフ。 ケルト系民族でもバイキングでも日本でもみます。 参考文献は、トルコとチューリップに関して。 「Broderies Turques」 Editions TH. DE Dillmont, S.ar.l. Mulhouse France 山岸 昇司 さん 世界の装身具―指輪・耳飾りハンドリングゼミ 第1回 東アジア・ヒマラヤ地域文化圏の感想をご報告いたします。 露木先生の解説に、世界の装身具には頭の上から足の指先まで体の色々な部位に着けて身を飾る物があるとお聞きして納得すること大でありました。 私が抱くジュエリーイメージは西ヨーロッパのそれに多分に影響を受けているので、このゼミを通して自身の視野を広げて装身具を捉え直さねばなりません。 リスや蝙蝠、金魚(No.1,2,3,10)などの吉祥紋をあしらった指輪、紙幣の絵柄に描かれるほどその民族のアイデンティティを示す印として使用される耳飾り(No,19、20,21)など、今の日本人の装飾感が個々人の「自分らしさ」を表現するものであるのに対し、皆で同じ物を着ける「帰属欲求」から発せられる形状が支配的だと感じました。 度を越した重量の装身具(No.19、20)を手にした時に思い出したのは、以前私が現役だった時のお客様のことです。その奥様はご自宅が2回火事にあい全焼し、2度すべてのジュエリーを失った事がトラウマとなり以来、全部のジュエリーをリュックサックに詰めて常に持ち歩いておられました。銀流通が主で価値の保存に適した地域においては装身具の形状にして身に着けておくことが一番安全でありまた財産家を誇示できたのでありましょう。作りの巧みさより重さ重視の装身具のような印象です。 円や丸、球といったモチーフは普遍的ですから(No.23、24、26)の意匠は「これコンテンポラリージュエリー作家さんの作品です」と言って見せられたら「なるほど、いいですね」と返事をしてしまいそうです。 これらの貴重で入手しがたい装身具の数々を取集し、ハンドリングゼミを開講して下さった露木先生に改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
吉田 明泰 さん 今朝読んだレポートの中に、「映画『おおかみこどもの雨と雪』の中で、長女の雪が、爬虫類の乾物や動物の骨などの箱いっぱいの「宝物」を小学校の友達に見せてめちゃくちゃ驚かれ、自分の好きな物が世の中の女の子とは違うことに気づき、それ以降、封印してしまう。」という一節がありました。(菅谷 隆「虫はダメ」から考える生物多様性の価値と危機) 私はこの映画を見ていませんが、私が宝飾品を身に着け始めた時のことを思い出しました。20数年前、マレーシアに長期出張中、現地の華人の人たちが、色石の指輪、翡翠のバングルなど、日常に宝飾品を身に着けているのを見るうちに、すっかり感化され、あれこれ身に着けるようになり、そのままのかっこうで帰国してみると、普段、よほど私がおかしな洋服を着ていても驚かない同僚・友人・知人たちが、まさに「めちゃくちゃ驚」き、「どうしたの?」「ナニゴト?」と、奇異の声を上げたことに、逆に私が驚いたものです。(幸か不幸か、この映画の女の子と違い、その趣味を封印してしまうどころか、ますます熱中してしまい、今に至っています。) 今から思えば、当時の同僚・友人・知人たちの頭の中には、宝飾品は、結婚式やホテルでの宴会など、よほどフォーマルな場で見につけるものであって、職場や普通の会食の時に、そんなものを身に着けてこられても・・・という意識があったのだと思います。日常にじゃらじゃら宝飾品を付けて歩くのは、「爬虫類の乾物や動物の骨」の収集ほどではないにしても、かなり奇妙な行動に映っていたに違いありません。
一方、日本では、(婚約指輪や、ここ10数年急にメジャーになった水晶などでできたブレスレットを除くと)「日々、肌身離さず」という宝飾品はほとんどなく、ブルーとグレーの中間にあたるような場、たとえば、近所のスーパーにお買い物、毎日のお仕事というような場すら、宝飾品着用のシーンではない場合が多いように感じます。(逆に、たくさん宝飾品を身に着けてスーパーに出かけると、あたかも「爬虫類の乾物や動物の骨」を身にまとっているかのような印象を与えてしまうかもしれません。) ブルーとグレーの図で示すと、以下の通りで、宝飾品=フォーマルのシーンで使うもの、という意識が非常に根強いように感じられます。今回、ゼミの後半で、他の参加者の方々の感想を伺っていても、宝飾品は、フォーマルな場で身につけるものだ、という視点で、今回ハンドリングさせていただいたジュエリーへの、率直な違和感を語っておられる方も多くおられました。(私の聞き間違いかもしれませんが・・・・) ハンドリングさせていただいた宝飾品を、ブルーとグレーのマップに、私の独断でプロットしてみると、グレーのゾーンにプロットされるアイテムが多いように感じます。 これから、今回のアジア地域に続き、他の地域の装身具をハンドリングさせていただく過程で、かしこまった場だけではない、さまざまな着用シーンを考えながら鑑賞・検討することで、議論が深まってゆけばよいと思っています。 その他3点(今回は、以下の3点を感想文とする予定でしたが、変な思いつきをつらつら書いているうちに、長くなってしまいましたので、簡潔に。 (3は前回の分です) 1.トクサヤギ 3.「戦争柄」の櫛 以上 岡本 有紀子 さん 日本が独特なジュエリーの歴史を歩んできたことを学んでから、諸外国ではどのような装身具の歴史を持っているのか、いつか調べてみたいと思っていましたところ、世界の伝統装身具のゼミの開催… 装身具に実際に触れるということは、大きさ、質感、重量、裏側の作り、細工の一つ一つまでじっくり見ることができる大変貴重な体験になります。 重くて着けられないと感じられるほど重量感たっぷり銀が使われているもの、縁起物の図柄でお守り的要素が含まれているもの、民族独自のもの。私たち日本人には馴染みのない装身具の数々。 このゼミは、時代背景や各地のつながりなど奥深い知識が大切なので、次回はもう少し事前に歴史を把握して参加したいと思います。 鈴木 はる美 さん 世界の装身具ー指輪・耳飾りハンドリングゼミ第1回東アジア・ヒマラヤ地域文化圏に参加した感想を述べます。まず、長年蒐集された貴重な指輪及び耳飾りを手に触れる機会を作って下さった露木先生に感謝申し上げます。 前回までの日本の装身具、日本人らしい繊細さとこだわりの技術に裏付けられたものでした。それと比較するのは、少々冒険ではありますが、中国の清時代は、日本では江戸時代であり、朝鮮の李朝、そしてインドのムガ―ル帝国から英領インドの頃だと考えると、デザインも技法も素朴でシンプルな物でした。それが、民族のアイディンティでしょうか。作り手の手技が伝わり、尚かつ使い手の生活が伝わるものでした。 指輪4 中国 テキスト外の文字のの右の字は、別図版によると福でした。左は現在解りません。こうもりについては、幸福の「福」と同音である説と韓国語でこうもりを「パクティ」という発音が福の音の「ポク」に似ているから幸福の象徴となったようです。毎回、吉祥文様については気になりながらも解り易いものがありませんでしたが今回『朝鮮王朝の衣裳と装身具』淡交社2007年刊行にありましたので、添付致しました。 奥住 義則 さん 今回初めてハンドリングゼミに参加させていただき、とても有意義な時間をありがとうございました。 自己紹介でも申し上げた通り、様々な品物の簡単なクリーニングや修理などを手伝わせていただいていますので、今回の中にはいくつかは見て触った物もありました。 今回、その背景にどのような暮らしの人々がどんな意味を持ってこれらの装身具を身に着けていたのか、などの説明を聞きながら改めて見る事によって、違う印象を受けました。 ただ、制作に携わるものとして作りの観点から見てしまうのですが、同じようなデザインであっても重さに関しては全く気にしていないように思えるものであったり、逆に出来るだけ地金の量を少なくしようとその環境で可能な限りの技術であろう工夫がされていたり、自分の感覚では有り得ないほど痛そうな物があったりと、疑問と衝撃の連続でした。 今回参加させて頂いて、自分の情報のなさを痛感しました。これから少しずつでも勉強して知識を深めていきたいと思います。
河西 志保 さん 今回第1回目、どんなことが学べるか大変興味をもってゼミを受けさせて頂きました。東アジア、ヒマラヤ地域共今までジュエリー業界にいながらタッチしたことのない世界でした。 奥田 文子 さん 今回は、これまでハンドリングさせていただいてきた日本の装飾品との違いに圧倒されました。 吉田 さやか さん 先日は、指輪耳飾りゼミにて、 今回は、アジアの中国・ミャオ族と韓国の装身具がとても印象的でした。 この1、2年拝見していた日本の装身具との実用性の違いが明らかで装身具が装身具たる所以のようなものを感じました。 重量が重たい程良いであるとか、本来、そこへ辿りつく独自の風習や習慣、文化がある様に思います。 今回は、ミャオ族について理解を深めていきたいと思います。 野上 亜紀 さん 第1回目の指輪・耳飾りゼミでは、授業のなかで先生がおっしゃっていた「装心具」という言葉が心に響きました。
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