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日本の装身具ハンドリングゼミ 第12回

ここでは、会員のゼミでの感想や気づいた点、意見、お寄せいただいた図書資料情報などを掲載します(順不同)。


藤井 正男 さん

本日のセミナ−も大変有意義でした。
櫛・簪の材質の件では通常見慣れていないので苦労しましたが、一角(素材は?(7))は初めて拝見し、大変感激しました。
叉、櫛・簪の絵柄ではいろんな意見が有り大変興味深く拝聴しました。
時計(図17-5-1)が(金側)着物(和服)に如何にマッチするのか興味有りました。首から下げるか、根付けするのか、如何様するのか、大いに関心を持っていましたが和服のモデルの方が付けて納得しました。

                             



戸倉 博之 さん

進行係で、参加者の皆さんのように議論も観察も出来ていませんが、 図17−5−1の首掛式懐中時計鎖が気になりました。

時計は、スイス製時計メーカーのCYMA(シーマ)です。
昔、アンティーク・ジュエリーの在庫の1つとして懐中時計を持っていました。
ブランド評価は中堅どころのファッション時計でアンティーク市場でも、わりと見かけます。一時期、経営が日本資本になり現在は中国資本です。
公式ホームページ http://www.cyma.ch/ で確認すると、1862年創業、スイス時計産業の発祥地の1つ、ジュラ山脈ですから、エメェ・アンベールの著書「絵で見る幕末日本」講談社学術文庫に出てくる来日(1863年)時期と目的とかが重なり興味深いです。

図17−7−1
和田維四郎については、「日本鉱物誌」東京大学出版会でCDロム付きで復刻したものを持っています。
鉱物標本も東大総合研究博物館が所蔵しています。
とはいうものの、実際には三菱マテリアルの寄託なんですが。
ナウマンゾウ命名のお雇い外国人ナウマンと地質調査所(現在の産業技術総合研究所)を立ち上げた鉱物学者という認識でしたが、日本最初の宝石専門書も出しているとは知りませんでした。勉強になります。



山崎 真紀子 さん

今回も素晴らしいものを間近で拝見させていただきましてありがとうございました。

素材が何かを当てるものは特におもしろく、また勉強になりました。
当てるのは難しく無理だと思いましたが、同じようなものを一度にたくさん見るとだんだん違いが見えてくるようで、天然かそれとも人工のものかというくらいは意外と当たっていました。
やはり実際の作品をいろいろな角度から拝見し、触れられるというのが一番ですね。

ほかにも、襟止めや時計鎖(図17-5-1)のような文章で読んではいてもどのようなものか具体的にはわかっていなかったものを拝見できて、大変勉強になりました。



河野 英理さん

今回のハンドリングは主に、象牙風の櫛、大正時代の代表的な形の櫛でした。
象牙風の櫛の中で、セルロイドを大体見分けることができたのは、こちらのゼミで勉強させていただいた成果が出たからでしょうか?

興味深かったのは、一角(クジラの仲間)の角でできた櫛と笄のセット(素材は?(7))。このような物は今まで骨董市等で見かけたことが無かったので、骨董市へ行くことがあったら、注意してみてみたいと思います。

その他の物の中で、一番興味深かったのは、懐中時計の首掛け式チェーン(図17-5-1)でした。チェーン大好きの私としては、実物を見るのは初めてで、感激でした。

先生は、イギリス?で元になるウォッチ・チェーンがあったらしい(写真もある)とおっしゃっていたのですが、私は存在を知りませんでした。本当にそんなものがあったのだろうかと、密かに悩んでしまったのですが、アンティークのチェーンで似たようなものがある事に気づきました。

もしかして、Muff Chain(マフ・チェーン)が、首掛け式チェーンの原型ではないでしょうか?
マフ・チェーンは女性が手袋を首からつるすのに使った長いチェーンで、先にフックがついています。今回拝見させていただいたチェーンよりも太いものが多いように思いますが、長さや、物によってはスライド式の金具がついていたりと、よく似ているように思います。

応用が得意な日本人ですから、マフ・チェーンに懐中時計を吊るしたら素敵だなと考えたとしても不思議は無い様に思います。実は私も、所有しているマフ・チェーンに懐中時計風デザインのロケット・ペンダントを合わせて着用したりしております。



角元 弥子さん

明治期の、新しいタイプの装身具に対する人々の飢餓感と、それを煽る商魂?の、エネルギーを感じるような回でした。

<襟かけ、首掛け用懐中時計>(図17-5-1)

和装用の襟かけ式、首掛け式の懐中時計鎖に興味をもちました。
襟かけ式の鎖をどうやって装着しているのか、絵ではわからなかったのですが、襟に専用の乳(チ)をつけていたと伺い、大変興味深かったです。
ハンドリングさせていただいた首掛け式の懐中時計鎖は、チェーン部分もスライド金具部分も凝ったつくりで、ネックレスと同じ着用効果を想像させます。 またこの頃は「時計を持ち歩いている」こと で、時代の最先端をいく自己満足感も得られたのではないかと思いました。
流行のサイクルにも興味がありますので、今後はこの年代前後の絵や写真に注意したいと思います。

<水晶のリング>(図17-11-4)

水晶の写真入りリングはハンドリングをとても楽しみにしていました。
写真の納まる場所をわざわざ平らにカットしてある同タイプは、「認付」という型でカタログにも掲載されており、相当な量が出回ったのでしょうか。
リングのサイズは少し大きめに見えましたが、男性が身につけるには彫りの模様が可愛らしく、どういう人がどういう思いで身につけたのか、気になります。
また、資料を拝見し、ここまで幅広い素材や価格の指輪が普及していたことに驚きました。

<櫛かんざしの素材>(素材は?(7))

イッカクの牙が、その素材感をわざと残して細工されていたのが面白かったです。
これまで装身具の素材は南方からの輸入品が多い印象を持っていましたが、北方からの輸入品についてもイメージが広がりました。
『北太平洋の先住民交易と工芸』(思文閣出版)の中で、オホーツク海域のセイウチの牙の交易について書かれています。 素材不明な骨・牙・角の類の中にも、北方海域からの素材があったかもしれません。

以上、次回も楽しみにしています。どうぞ宜しくお願いいたします。


青木 千里 さん

 今回の素材を推察するハンドリングは今までのゼミをどれくらい理解、記憶しているか確認出来る面白い試みでした。確信の持てない物、初めて実物を見る貴重な物もあってとても勉強になりました。

 また、資料「東京百事流行案内」の絵図は形状の微妙な違いがよく分かり役立ちます。実物も大切なのですが、個々の図柄や技法にとらわれて普遍的な外形を見失いがちですから。
さらに他の資料と関連させた露木先生の解説で時系列の変化もよく理解できました。
長い時間と労力をかけて集めた資料を惜しげもなく提示してくださったことに感謝いたします。あリがとうございました。


吉田 明泰 さん

開講冒頭、露木先生の翡翠に関する考察を興味深くうかがいました。

欧米の価値観、原色を尊ぶ風潮の影響を受け、薄い緑の翡翠から、エメラルドグリーンの翡翠が好まれるようになっていったのではないかという推論(誤解していたら申し訳ありません)は、珊瑚のマーケットにもあてはまると感じました。

昭和以前の多くの宝石関係書に、ボケ珊瑚が非常に高価であったと記されています。

例1:本ボケはエンゼルスキンカラーとよばれ、淡いピンク色で全採集量の1%にも満たないため、赤、桃などの10〜20倍の高値を示している。(昭和41年『カラーコンパクト宝石』・集英社P147)

例2:殊に「ぼけ」と称せらるヽ淡赤色の軸は欧州にて「天女の膚」と称せらるヽものに相当し値はなはだ貴し」(明治37年『水産調査報告』P26)

一方、その時代には

○上等ナラズ(同『水産調査報告』P23)

○品がないと言われて安価であった(平成25年『さんごの海』・高知新聞社P261)

などと言われ、産出も相当量ある赤珊瑚は、平成の初めにかけて「最も貴重な品種は、おもに土佐沖で採取される濃赤色の血赤さんご」(平成2年・『カラーブック新訂宝石』(第4版)・全宝協P331)と言われる程、大出世した一方、ボケ珊瑚は、現在の古物市場で「評価なし」という扱いを受けているようです。

もちろん、ボケ珊瑚については、戦後、東南アジア各地から、「ミス」「ガーネ」とよばれる桃色の珊瑚や、太平洋から「ミッド」とよばれるオレンジ色の斑が入ることが多いもののこちらも桃色の珊瑚の産出があり(平成9年『宝石珊瑚の魅力』高知県商品計画機構P36〜38)稀少性自体が薄れてきたこと、等の事情も勘案しなくてはならないとは思いますが。

また、水晶のくりぬきのリングの説明を聞き、べっ甲でも同様のくりぬき(実際には曲げて制作?)のリングにときどき出くわすことを思い出しました。

鈴木はる美さんのレジュメにあった「見立春夜二十四時・午後七時」の指輪は、べっ甲のかんざしとのバランスから言って、金ではなくべっ甲のリングを想定したくなってしまいます。こうしたリングはいつ頃から作られているのか、気になりました。


さいとう まちこ さん

今回のハンドリングでは、首掛式懐中時計鎖及び甲府の写真入水晶指輪が特に印象に残りました。

前者については、当時の人々が夢中になったのもうなずける魅力を感じました。宮崎さんに装着していただいたときの、和装がぱっと華やぐ感じが、大変素晴らしかったです。実物をハンドリングさせていただくことのできる当研究会でなくてはできない経験をさせていただきました。ブローチを和服に応用した襟留の例も含め、先生のおっしゃるとおり、日本人のコーディネート力は非常に高く、センスがあったのだと改めて実感できた瞬間でした。

後者の写真入水晶指輪については、余談ですが、数年前、仕事で甲府に住んでいたころ、地場産業センターによく足を運んでいたことを思い出しました。そこで見ることのできる、水晶の商品と言えば、数珠状のネックレス、ブレスレット、カットをほどこしたペンダントトップ、印鑑、置物などが定番でした。このような水晶指輪が、強度を増して現代風のデザインでもしも作られたら、大変素敵な甲府の特産品のひとつになるのでは・・と思った次第でした。


さとう あけみ さん

このたびは鈴木春美さんの<指輪の普及とその要因の探究>の講演会から参加させていただきました。
混沌としたジュエリーの歴史のなかから指輪に焦点を当て研究をまとめられた強い探究心に敬意をもちました。
手がかりの無いなかでのご苦労やあきらめない行動力など少しはまねをできないものかと思いました。
研究成果は後進への手がかりや大きな励みとなることでしょう。鈴木さんにはますますのご活躍を期待いたします。

ゼミの10日ほど前10月21日に糸魚川のフォッサマグナミュウジアムを訪れました。
沢山のヒスイの陳列を見てガイドの説明を聞いたばかりだったので今回のゼミでは本題よりもヒスイの話が特に印象に残りました。
糸魚川ではいまだにヒスイが見つかっていて今年の夏に発見された巨大な石も陳列されていました。
その石が何か分からなかった時代には適当な大きさのものを漬物石に使ったりしていたそうです。
宝石クオリティの石は無いと勝手に想像していたのですがエメラルドのような綺麗な緑色のヒスイも多く発見されていて陳列を見たときは驚きました。

ちなみに青森の三内丸山遺跡から発見されたヒスイの勾玉はその後の研究から糸魚川産であることが分かったそうです。
というわけで縄文時代の装身具にも想いを馳せることになりました。
この勾玉が日本人のジュエリーに抱くひとつの思いの系譜になっているような気がしてきます。
露木先生のヒスイに関する書籍を読むのがとても楽しみです。


山岸 昇司 さん

貴重な資料を拝見させて頂きありがとうございました。

お初形櫛(1)秋草図―萩、芙蓉(ふよう)、撫子(なでしこ)

構図と仕事の繊細さに引き込まれました。櫛の歯の部分にも模様が描き込まれていているのが職人さんの気合を感じます。

政子形櫛(4)石山寺 秋の月

表面と思われる面に月を眺めるお公家さんが描かれていて風情を感じます。銀で描かれた月は年月で硫化して黒くなり、月とわからなくなってしまっているのが惜しいところです。

作られた当時は月の銀、お公家さんの金、松の青、柱の赤の対比が鮮明でさらに美しかったことでありましょう。

石山寺を名のみ知る程度なのでネットで調べてみると紫式部ゆかりの地、「四季折々の美しい風景はもちろん、近江 八景のひとつにも数えられる秋の月は格段と美しいと言われています。」とありました。

今まさに紅葉の季節、石山寺では現在の観光客も同じ風情を感じながら秋の月を愛でていることでありましょう、と思うと一層愛着を感じます。

(7)一角(いっかく)

話には聞いていた一角のツノ。さすが露木先生のコレクションに脱帽です。

当初、鹿のツノかと思いましたが櫛の組織シミがいささか気になったところです。

笄の成長方向に対してわずかに螺旋を描いている外皮が特徴と覚えました。

 

螺旋といえば、図17-7-2ネクタイピン(博覧会記念)です。本品の針部分がどうなっていたか見忘れましたが、私が現役だったころ(第三
者を介して)同型のピンの修理を依頼されたことがありました。

初めて見るものであり、キャッチもなく用途を測りかねました。その針には螺旋に溝が切ってありねじ込んで着用するのだろう、そして溝で抜けづらくなるのだろうと推測したものです。

今回のゼミで正確な使用法を知ることができました。


奥田 文子 さん

今回は、いろいろな素材や、素材同士の組み合わせも見ることができで勉強になりました。

一番印象深かったのは、素材は?(7)一角でした。
聞いたことはあっても見るのは初めてで、らせん状の左巻きの溝という特徴が確認できて感動しました。
象牙よりも高価であったと知って驚きましたが、希少価値や捕獲の難しさを考えると納得しました。

政子形櫛(2)(つらら?藤の花?)は、何を表しているかまったくわかりませんでしたが、 地はざらざらとした革のような質感で、大人っぽく感じられ、忘れられない一点となりました。

17-5-1 首掛式懐中時計鎖は、鎖の長さに驚きましたが、着物と洋服との身に着け方の違いを感じました。
個人的に子どもの頃から懐中時計に憧れていたので、流行した当時の人々の気持ちがわかる気がします。

17-11-4写真入水晶指輪は、どんな人が身に着けたのか興味が湧きました。
女性の恋人か、または両親か、形見のようなものだとしたら悲しい…など、いろいろな想像をさせられました。


土田 慶太 さん

今回のゼミで行われた、櫛、笄、簪の素材当ては、勉強不足の自分には全く出来ないのではと思っていましたが、思っていたよりは見分けることができました。このハンドリングゼミで学んでいて良かったです。

印象的であったものは、首掛式懐中時計鎖です。現代にこういったものを着用されている方はまずいないでしょうが、実際に和服と合わせているのを見た時に、とても魅力的な装身具だと思いました。最近は、和装で出かける方が増えてきているように感じます。このような装身具を復活させるというのも面白いかも知れませんね。


齋川 陽子 さん

前回のゼミでは、 明治に入ってからの女性装身具の流れが一気に変わり、女性の好奇心に満ちた羨望が伝わってくるような、そんな印象をもちました。
爆発的ヒットとなった婦人懐中時計も、実用性を兼ねたファッションとして楽しんだのではないでしょうか。帯忍ばせた時計をそっと取りだし、手のひらでカチッと静かに開けて時間を見る。この仕草一つにも女性らしさが出ていたような気がします。今も腕時計の文字盤を内側につけ、そっと時間を確認する女性を見ると奥ゆかしく感じます。
さて、前回のゼミで気になった牡丹型の櫛の少し形の新しくなったものを都牡丹型と呼ぶお話があり、もしかしたら大西白牡丹からのデザインの為都がついたのでは?と思い調べてみました。残念ながらそのような資料はなにも見つからず、推測の域を出ないままの感想となりました。
ただ調べているうちに、明治になると女性の写真やポストカードが普及して、少なからず装身具の影響もあったかと考えられます。明治24年には写真による美人コンテストが行われています。これは全員芸子さんで総勢100名余り、撮影場所条件も同じというものでしたが、装身具を見ると指輪をつてけいるのが見てとれます。いち早く流行を取り入れていたファッションに敏感な芸者さんならではかと思われます。
今後時代が進むにつれ加速する装身具の流行をどうその時代の女性が取り入れたか、ますます楽しみです。

参考文献 レンズが撮らえた幕末明治の女たち 山川出版社


小宮 幸子 さん

今回拝見した中で気になったのは、素材は?(9)の簪です。玉の部分はいかにもセルロイド製と判別できたのですが、足は擬甲で、その一部がべっ甲ということに驚きました。貴重な素材を無駄にしないため、とも聞きましたが、なぜ全てを擬甲で作らなかったのか不思議に思いました。そこまで手間暇や労力をかけても、「べっ甲が使われている」ことで価値がだいぶ変わるのでしょうか。

今回のテキストを読んで、明治後半期から大正にかけての、和装から洋装への転換期の女性の装いに、独特の魅力を感じました。和装に着けても良い装身具は指輪か帯留め、という固定概念しかなかった私には、着物に襟留や首掛式懐中式時計鎖を合わせた姿は、とても新鮮で華やかに映ったのです。また当時の流行、風俗を知るには鏑木清方などの絵画が貴重であることも痛感しました。


中村 園子 さん

今回は、『素材は何か?』と始めにお題をいただいて燃えましたが、自分の見極め眼のなさにびっくりしつつ、それがかえって違いを良く見ることになり、とても勉強になりました。
今回も櫛の図柄や手仕事に感嘆しました。今までより彫りが深めで立体感が良く出ているように思いました。
かっこいいと思った櫛は、(2)セルロイドの竹棟櫛です。竹なのに丸みを帯びた櫛の形に上手く収まっていて、色も竹にぴったりだと思いました。
政子形(2)のつららのような模様の櫛と、政子形(5)の小花が等間隔に水玉のように配置されている櫛は、今までみた模様とちょっと違う感じがして、どのような方が身につけていたのかと興味がわきました。

明治時代後期は、洋式ジュエリーと和装の組み合わせによって、今では思いつかない使い方をしているのが興味深かったです。
ティファニーのブルー、エルメスのオレンジ、丸嘉と言えばナス紺のケースと聞いてジュエリーとパッケージ(ケース)は切っても切れない大切なアイテムなのだなと改めて思いました。面白かったです!


岩崎 望 さん

今回も普段目にする機会がないものを数多く見せていただき、ありがとうございました。
やはり、一番興味が引かれたのは一角です。一角の櫛、笄は始めてみました。日本には薬の材料として輸入され、高価だったはずです。したがって、それを素材にすることはかなりの贅沢だったと思います。女性同士で櫛、笄自慢の会話が交わされたのでしょうか。
 犀の角を一角と称していたこともあったようです。珊瑚の非破壊分析による産地同定の研究を行っていますが、骨もそのうち試みてみたいと思います。


野上 亜紀 さん

ゼミの中で少し違うお話だったのですが、翡翠の話が印象的でした。真珠と同様に今の翡翠を見る見方と、戦後のアメリカ人の影響をうけた見方の違い が非常に面白く、今後もう少し注意して見てみたいと思いました。
また、懐中時計の着け方が非常に新鮮でした。西洋のポケットウォッチとは違う装着の仕方が極めて日本的で興味深く……。このころの西欧では、男性 用ではなく女性用においては、装飾を施したペンダントウォッチに加えてジュエラーによるブレスレットウォッチも着用されていたと思うので、日本で は小型の、かつロングペンダント式の懐中時計に注目が寄せられていたということは、和装であるという点も深く関係しているのではないかと興味深く 思いました。
実際に着 けてくださったお姿を拝見できたのが、とても貴重な経験でした。
時計は実用的な道具のため、ジュエリーと違って総じてファッ ションとの関係性が薄くとらわれがちですが、民族ごとに違う衣装による影響などが女性用においてはやはり大きいのではないかと、非常に勉強になり ました。


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