日本の装身具ハンドリングゼミ 第10回ここでは、会員のゼミでの感想や気づいた点、意見、お寄せいただいた図書資料情報などを掲載します(順不同)。 河西 志保さん 鈴木はる美さんからのコメント 河西志保さんが感動された襟留を描いた日本画があります。少し見えにくですが、花嫁の隣に座る女学生らしき
(当時、女学生には、リボンが流行した)女性(向かって右端の蝶の絵柄)の女性の衿に注目。彼女は、当時流行したくさり付の時計を着物の上から装着する。鏑木清方画 明治40年(1907)絹本着色、軸装 H1828×W1154mm 鎌倉市鏑木清方美術館蔵
『ジュエリーの歩み100年』美術出版社2005年 露木先生も執筆なさっている本のp.74 なお、同美術館で「金色夜叉」の挿絵展をした事がありましたが、その際に展示された、熱海の海岸の名場面(官一がお宮を蹴る場面) 吉田 明泰さん 『金色夜叉』に関するご研究の成果、大変興味深く伺いました。 その中で、「金剛石」の大きさについての話が出ましたが、クラリティについては言及がありませんでした。 何年か前(私の切り抜きのファイルがうまく整理されておらず、いくら探しても見当たりません)、家庭画報か婦人画報に、先日亡くなられた塩月弥栄子さんが、「母の形見のダイヤモンド」というのを公開されていました。 類例を探してみたところ、1つみつかりました。松井英一『宝石・貴金属の選び方 買い方』という本の扉の写真です。 『金色夜叉』や、戦前・戦後直後のダイヤモンドの「いいもの」あるいは「普通のもの」というのが、今のGIA基準で言うと、いったいどういうものだったのか、にも興味を持ちました。 蛇足ですが、この本の中に、講義で話題になった、皇室のジュエリーやピアス、日銀ダイヤについての話が載っていたので、参考までに引用させていただきます。 P71耳輪はおもに終戦後流行したものです。戦前は支那服を着るときつけるくらいのもので、わずかしか売れなかったものですが、戦後は耳輪なしの女性は一人もいないくらいにはやって、それが板についてきました。 P223 ロンドンに「マッピング」(現在のMappin & Webbか?)という有名な宝石商があります。かつて日本と英国とは同盟を結んでいましたので、日本の皇室の持ち物はたいてい宮内省がその店に注文したようなわけで、相当高級の品物があったのです。ですから私ども非常に期待していたのですけれども、それほどのものがないのでがっかりしました。やはり英国は斜陽の蔭がこいなという感を深くしたわけです。 P227 私は現在、ダイヤモンド界の王者といわれているハリー・ウイストン店を訪問したのです。ここは小売と卸、そしてダイヤモンドの研磨加工と高級装身具の製作をしていて、従業員は三百人もいます。 P245 (供出されたダイヤモンドの中には)皇室の王冠もありました。軍需省の方から、宮内省から王冠が下賜されたから見に来いというので呼ばれて、行ってみますと、王冠があり、ダイヤモント゛を取り出してくれというわけです。それは明治時代の皇后のものです。王冠だけでなく、宝石類も供出なさったのです。私はそのときもったいないと思った。また実際問題といし工業用としては三カラット以上の大きいものは必要ないのですから、大きいもの三個か四個、其他が小さいのもみんなとりはずしてしまって、大きいのはお返ししたのです。
宮坂 敦子さん 藤田君代コレクションでは「撫子図蒔絵笄」が印象に残りました。
角元 弥子さん 今回も前半後半ともに興味深く、挫折していた『金色夜叉』に再挑戦してみようと思いました。 時代背景とともに解説いただく日本明治期の装身具史は面白く、日本人のライフスタイルが激しく変化した時代に、人の情報欲、所有欲がエネルギーとして感じられるようでした。 藤田君代コレクションの中から、ゼミで話題になった吉祥モチーフ「蓑(みの)」について。 ゼミの後、兵庫県姫路市の「日本玩具博物館」で、明治期にお守り入れとして使われていた、蓑をかたどった袋物を見ました。 余談になりますが、現在こちらの「日本玩具博物館」では「ちりめん細工の今昔」という企画展が行われています。 次回も楽しみにしております。どうぞ宜しくお願いいたします。
齋川 陽子 さん 長い歴史のなかで、独自の文化を刻んだ日本。その歴史ある着物文化のなかで、やはり人々は装飾を楽しんだ。その装飾は、存在感の大きな着物を飾るものより、大きな黒い髪に似合う簪、櫛が大きな役割を果たした。 ハンドリング最後の15番。 この独特の髪型の文化も明治になり西洋の髪型の清潔さ等を知るようになると、明治18年に婦人束髪会ができ、日本髪から西洋の髪型を、推奨する動きがでたようです。 日本の数少ない装飾品から日本の文化を紐解いていく。 ありがとうございました。
鯉渕 みどり さん 作品を触ることにまだとても緊張しましたが、じっくり見ることができて貴重な時間を過ごさせていただきました。 鈴木 はる美 さん 第9回と10回は「藤田君代コレクション」であった。露木先生のコレクションは、教材といての意味があり、後世の人達へ残すものとして収集された。それに反して「藤田君代コレクション」は女性の視点から興味をもったものであり、美しく、珍しく、そして制作された時代性があった。図柄には、物語り性を深く感じる。 今回気になった作品No.KF―08 文様ちらし蒔絵櫛笄@であり、図柄と文字の「松風」に注目する。 約2年前、京都・細見美術館の「櫛簪おしゃれ展」会場にて、酒井抱一筆の「松風村雨図」の掛け軸を観賞した。抱一26歳時の肉筆画は、江戸後期の琳派画家というよりも、繊細で美しい。「松風」と「村雨」の顔に視線はとまり、そして大きな櫛に視線は写った。(図参照) さあ、KF−08の櫛のくっきりと金泥で描かれた「松風」が気になり、能「松風」を調べる。 「松風」はもともと田楽の曲であったが、観阿弥、世阿弥が改良を加え、能の「松風」になった。能「松風」の舞台には1本の松の作り物がだされ、西国行脚の僧が、風情のある松に目をとめ、所の者に尋ねると、これは「松風村雨」という昔の悲恋の乙女達の記念の松だというのでその前で弔いをしていると日もくれてきた。高貴な血筋の者がわけあって侘びしい生活をいているという「貴種流離譚」だ。『源氏物語』では、行平中納言が須磨に流されたことを下敷きにして須磨の巻きを作り、能「松風」ではその原型となった行平中納言の流謫(るたく)に伴う後日譚として作られた。この行平中納言に同情して世話をした乙女は姉と妹の2人で、姉は「松風」妹は「村雨」であり、ともに行平を愛し、愛されてしばしの須磨の時代を過ごし、やがて行平は都に召し帰されてしまう。残った2人の乙女はその後も須磨の浦で汐を汲みながら、一、行平の面影を抱き続けて生涯を終える。能の中では姉の松風は狂乱する。
露木先生は「量産品であり、江戸後期の年増が愛用したのであろう」と講義の中でおっしゃった。櫛には雪輪模様に似た絵が7枚、笄には6枚描かれる。この文様と能の「松風」の接点があるやなしやと調べる。
磯田湖龍斎描く3幅の「松風村雨図」には、汐車を引く「松風」と「汐汲み桶」を天秤棒で左右に支える「村雨」が描かれる。帯には龍が描かれ、海女である逞しい女達と比べて、貴族姿の行平のたおやか振りが、少々気に入らない。しかし、行平の立烏帽子に扇子を手にした美男子振りにはうっとりする。浅沓に狩衣姿の下履きの文様は、KF−08の櫛・笄の図版と同じである。これは、能・歌舞伎・義太夫・文楽などで演じられた「松風」ファンの女性を対象にプロジュースした櫛笄セットであると限定する。「松風図蒔絵櫛笄セット」と名付けたい。
参考分献 馬場あき子著『能・よみがえる情念』 檜書店 2010年 別冊太陽『能』 平凡社 1978年 『櫛簪とおしゃれ』紫紅社 2013年 岡本 有紀子 さん 今回も参加させて頂きましてありがとうございました。
山岸 昇司 さん 前半の「金色夜叉」のダイヤモンドに関して、今回ほどの解説をお聞きしたことが無かったのでたいへん興味深かったです。日本のダイヤモンド史において重要なビックイベントの一つである「金色夜叉」、戦前の日本国内に多くのダイヤモンドを在庫させるきっかけとなったことがうかがえました。 広告文に18金1ctダイヤモンドリングの爪が10本、2ctが12本と記述のあるのは、細い爪で石留し石その物の美しさを際立たせる「宝石を身に纏う」ことに主眼をおく基本構想で、造形美を主とし宝石を引き立て役として楽しむ構想は明治期にはまだ発生していなかったのでありましょうか。 「熱海の海岸散歩する・・・」で始まる大正7年頃に作られた「新金色夜叉」の歌は熱海が当時、東京近郊の最大のリゾート地であった事を考えると結果として最高に成功したマーケティング手法であったのではないでしょうか。 マレー大佐事件のお話も興味をそそりました。米軍、日本政府の絡むお話ですから大方は闇から闇に葬られるのが常で唇寒しにならぬよう、沈黙は金ということになるのでしょうがなにせダイヤモンド小さくても資産性換金性のある物質、一握の砂では糊口を凌ぐことすらできませんが一握のダイヤモンドなら資産が国家間をすり抜けることもできるのです。 後半は 前回に続いての藤田君代コレクションをメインにハンドリングさせて頂きました。総じて使用された感に溢れた品々です。経年変化で刃先がわずかに歪み、刃先の塗りが使用の擦れで下塗りが見えて、と人の温もりが伝わってきました。 KF−05 変わり塗櫛 ――――――ここからはウィキペディア ユリ からのコピーです―――――― ユリは聖書にしばしば登場する花のひとつである。新約聖書「マタイによる福音書」には「ソロモンの栄華もユリに如かず」とあるが、これは、人間の作り上げたものは神の創造物(自然)には及ばないことの比喩である。ただし、新約聖書時代のイスラエルでは、ユリは一般的な花ではなく、この場合のユリは野の花一般のことだと考えられている。 KF−15 清朝のサンゴ飾り簪 青木 千里 さん 今回の露木先生の講義の中で心に強く残った事柄2点。 1)正倉院には宝石(ダイヤ、ルビーetc.) は無い。大陸から入って来ていたが、
日本人はそれらを美しいとか価値のある物とは認めなかった。 正倉院に宝石類が無い理由を物自体が入らなかったか、初期は武器庫としての役割を果たしていたという説がありますので、武器ではない物は収められなかったのかと解釈していました。 2)新時代の照明 電気事業連合会の HP を見て、「金色夜叉」連載の頃にはかなりの電灯が普及していたことがわかりました。 「宝石百年」の中でも「ダイヤが夜光るというのでウインドウを見に行った。」 小田 晴子 さん 藤田君代コレクションのハンドリングゼミは大変興味深く、貴重な体験ありがとうございました。 前回は、全てが初めてだった為、絵柄や、形状の美しさ、作りの細やかさにただただ驚嘆しておりました。
小宮 幸子 さん 藤田君代コレクションのハンドリングでは、直接触れることで、それぞれの作品の厚みや表面の仕上げの感触などを感じることができました。大変貴重な機会に感謝いたします。 私が気になった作品はKF-03(朱漆蒔絵櫛)です。ペルシャ辺りから伝わった唐草文様なのでしょうか、どこかエキゾチックな植物文様が描かれていて、今まで拝見した櫛にはない雰囲気を放っていました。山型にカーブを描く部分に描かれた、日本的な梅の花とのギャップも不思議な魅力になっています。全体的に可愛らしく、若いお嬢さんが使っていたのでは、と想像しました。 今見てもモダンで粋なKF-08 (文様ちらし蒔絵櫛、笄1)、KF-09(文様ちらし蒔絵櫛、笄2)が量産品とのお話には、より多くの作品をみることの大切さを感じました。鈴木はる美さんの感想文に、KF-08は能・歌舞伎・文楽などで演じられた「松風」を意識して作られた、と書かれていたように、それぞれの作品に背景・ストーリーが込められていたとしたら、現代の量産品とは比較できない手間暇とアイデアが込められている、と言えるのではないでしょうか。当時の文化の成熟度も感じます。 また、日本人が好んだ宝石をたどっていくと面白い発見がありそうだと感じていたので、「金色夜叉」にまつわる解説は大変興味深いものでした。照明機器を初めとした社会の変化に伴い、ダイヤモンドの人気が高まっていたことが理解できました。戦前の日本に相当量のダイヤモンドが存在していたことにも大変驚きました。文学作品にはその時代の世相が現れるものです。露木先生がおっしゃったように、文学作品の中から日本人の装身具や宝石に対する価値観を探っていくと、それだけで一つの研究課題になると思いました。 中村 園子 さん 《藤田君代コレクション》 今回も素晴らしい櫛を見てせいただきました。 藤田君代コレクションの全体を通して、とても美しい作品ばかりで、センスの良さを感じるのとともに、昔の職人さんの感性と技術を感じ、とても豊かな気分になりました。
《明治時代中期 15 金色夜叉》 多くの人たちに広くダイヤモンドが知られるキッカケになった金色夜叉とダイヤモンドの話は、大変興味深かったです。 当時のダイヤモンドリングの大きさや値段で、どれぐらい貴重だったかが分かったり、その頃のダイヤモンドのカットがどうだったかなども、とても興味深く大変楽しい授業でした。 さとう あけみ さん 明治期最高に読まれた大衆文学「金色夜叉」をとおして見えてくるものがあり大変興味深く思いました。 文明開化もだいぶ進んだ頃、明治30年に刊行されていますがダイヤモンドにおける西洋の価値観を大衆に植え付ける役割を担ったように思います。 今日とは違い情報が遅い時代に、しかもアメリカの作家クレーの小説からヒントを得て書かれたという「金色夜叉」、尾崎紅葉は洋書を原文で読み漁っていたとしか考えられないし当時の作家の勉強ぶりも偲ばれます。 露木先生が指摘されたように日本文学のなかから<文学に現れた宝石>を探し出しまとめることができたら日本の宝石文化があるていど見えてくるのではないかと大変興味をひかれ、じつは今回のゼミではこの視点にとてもワクワクさせられました。 沢村 つか沙 さん 金色夜叉とダイヤモンドの話はとても興味深く感じました。 異文化への憧れのようなものは、いつの時代も強いものであるものの、洋服と共に海外のジュエリーに人々が魅了されていたのだなあと想像します。そして、洋服が定着しファッションにおいては日本から世界に発信するブランドも確立しているように、ジュエリーにおいても海外の憧れデザインから もう一歩進んだものが発信できる時期なのではと感じています。 半襟につける襟留は注目したいアイテムでした。検索してみましても現在商品として見られるものではありませんし、今は半襟の中にプラスチックなどの襟芯を入れたりするので、その際には穴を貫通させるわけにはいかないのでは、と当時の着物の着こなしにもより興味がわきました。 岩崎 望 さん 露木先生は、ヨーロッパで底流として存在するジュエリーの性質は財産性とマジカルな力であると指摘されました。昔から宝石サンゴにはまがい物がありました。また、昨今の自然保護運動の高まりを受けて、宝石サンゴを漁獲せずに、宝石サンゴに似た他の材質でアクセサリーをデザインする動きがありました。このような紛い物や代替品について考えてきましたが、露木先生のマジカルな力というご指摘は本質を突くものだと思います。他の物に換えられない理由、本物である必要性が説明できると思います。示唆に富むお話しをありがとうございました。 石井 恵理子 さん 曳舟の意匠、 絵的には、花や蝶や家紋と違って綺麗な要素はない櫛に 多分、その中のストーリー性 もしかしたら作者が後々物議を醸すように仕向けたのか そんなことを考えながら曳舟の浮世絵や画像を見ていたら また遊郭で、太夫のために接待役・世話役を務めたのが女郎 幼少の頃から日舞の稽古に通い また狂いものでは道成寺、お夏狂乱、蝶の道行、櫓のお七、鷺娘などなど 一番女性が心を乱して男を想う表現方法が 本題、あの簪を身につけていた女性は そして、一つの簪を巡ってこんなに皆様とお話が弾むなんてと 楽屋、床山から香る鬢の匂いは舞台へと心疼くものが有ります 髪は女の命
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