日本の装身具ハンドリングゼミ 第6回ここでは、会員のゼミでの感想や気づいた点、意見などを掲載します。 角元弥子さん ライブラリー開設は大変楽しみです。既に、閲覧したい本が何冊か見つかりました。 今回面白かったのは、明治期に外貨を稼いだ装身具類です。 <加工技術・スタイル> 黒い生地のものが多く、素材について話題になりました。 布目象嵌についてゼミ後に調べましたら、最後に錆止めのため漆を焼付け、金銀の象嵌部分のみを削り出すものだそうです。 <加工流通> 当時、ライフスタイルや為替事情の全く違う消費地に合わせるため、商社の存在は大きかったと思います。 当時の半製品の流通ルートについても興味が湧きました。 小宮幸子さん 今回のハンドリング作品を拝見して、単純ですが「和洋折衷」を強く感じました。日本の美術は浮世絵だけではない、工芸技術も優れているのだ、とアピールする為に、西洋人に受け入れられやすい、つまり日常で使いやすい、ベルトバックルやブローチ、ボタン、カフスが作られていったことは容易に想像できます。 図11-7-1の銀製バックル、参考1の薩摩焼蝶のバックル、参考5の薩摩焼藤の花のバックル、参考6の七宝の花柄バックルなどは、和のデザイン性と繊細で高度な技術を取り入れた、見ていて素直に魅力的な作品と感じます。参考3の布目象嵌のバックルになると、肉眼ではわからない程過剰に繊細な細工が、当時どれだけ理解されたのかは疑問ですが。 一方、図11-7-6薩摩焼日本髪の女性のカフスや参考9,10のブローチを見た時、シャツやジャケット、ドレスといった洋装に合うのだろうかと思いましたし、手描きでもかなり手早く描かれている印象を受けました。参考14のボタンは6個セットなので、並べてみるとその竹の図柄を描く手際の良さ(荒っぽさ)に気づきます。 日本の威信をかけるような、完成度の高い装身具を含む工芸品が輸出されていた一方で、エキゾチックで日本的な意匠を求める多くの需要に応えるべく、大量に作られ、輸出された装身具もあったことがうかがえました。西洋の人々がこうした装身具を実際どのように身につけていたのか、絵画か文章に残されていれば、ぜひ確認してみたいと思いました。 ご参考まで:「ボストン美術館 華麗なるジャポニズム」展 この展覧会で紹介されるのは浮世絵、日本画が多いようですが、日本美術が西洋美術に与えた変化、影響を知ることで、西洋にはなかった、日本で培われてきた美意識が見えてくると思います。三井記念美術館で公開中の「超絶技巧!明治工芸の粋」とあわせて、できれば足を運びたいと思います。 最後に、ライブラリーを拝見して、露木先生のご尽力には本当に敬服いたしました。利用方法などルール作りも試行錯誤が必要かと思いますが、開館を楽しみにしております。 辻洋一郎さん 今回、特に目を引いたのが打ち出しで作られたブローチなど3点である。 八向志保さん 江戸時代の作品もとても見応えがあるものばかりでしたが、江戸時代は、鎖国の影響もあり、他国との交流はかなり限られていたことから、時間の長さの割には装身具の変化は緩やかだったように思います。それが明治時代になると洋服が一部の人たちに着られるようになり、また薩摩焼などの伝統的な技術を使って、西洋風のデザインのブローチやカフ・リンクスなどが生産されるなど、デザインも商業の形態も大きく変化していったことがわかりました。 今回拝見した作品の多くは、技術が日本のものであるだけではなく、デザインに着物を着た女性や日本らしい花模様を描いているなど、東洋をかなり感じることができるデザインでした。日本の技術よりも日本的なデザインが最初はヨーロッパなどの外国では好まれていたのではないかと思いました。 また商業的に、誰がこれらの作品の製造を依頼し、輸出・販売していったのかについて興味がわきました。また輸出する対象の国は主にどこだったのかについても知りたいと思いました。日本のものは東洋的で非常に好まれたと思いますが、それらがどれくらいの価値がついたのかなどについても、情報がないか探してみたいと思いました。
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