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日本の装身具ハンドリングゼミ 第2回

ここでは、会員のゼミでの感想や気づいた点、意見などを掲載します。


辻 洋一郎さん

今回、秀逸だと思われたのは松竹梅の黒と銀の簪である。
人に見せる為だったべっ甲などの簪があの様に小さく変化して行ったのはなぜだろうか?
当然、素材の進歩や技術的な進歩もあったのだろうが、何よりも需要の変化に他ならないのではないだろうか?
ゼミの中で次の新たなジュエリーという話があったが、上記の変化にそのヒントがあるのかもしれない。
また、当時の歌で簪をねだる女性の歌があったかと思うが、当時は歌になる程、根差していたのかと思うと感慨深いものがある。


岩崎 望 さん

ハンドリングゼミではお世話になり、ありがとうございました。珊瑚をあしらったものが多かったので、間近にみれてとてもうれしかったです。
簡単ですが、宝石サンゴの識別方法をお知らせいたします。

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宝石サンゴの識別
現在流通しているものは刺胞動物門八放珊瑚亜綱サンゴ科の8種です。主なものの特徴と見分け方は以下です。詳しくは「宝石の四季」213号(2011年春号
特集 珊瑚の魅力T)を参照して下さい。
なお、沼津港深海水族館(http://www.numazu-deepsea.com/)でアカサンゴ、モモイロサンゴ、シロサンゴを展示飼育しています。

1.ベニサンゴ Corallium rubrum
主な分布域は、地中海沿岸、水深20から200m。骨軸の色は赤く、一様である。研磨していない骨軸には、縦方向に明瞭な条痕が見られることがある。日本では輸入品であったことから、胡渡り(こわたり)と呼ばれていた。「その他8 象牙サンゴ飾り簪」に用いられている。

2.アカサンゴ Paracorallium japanicum
主な分布域は、南日本から台湾近海、水深100-300m。骨軸の色は桃色から暗赤色。骨軸横断面中心部に白い部位があり、斑(ふ)と呼ばれる。

3.モモイロサンゴ Corallium elatius
主な分布域は、南日本から台湾近海、水深100-300m。骨軸の色は白に近い桃色から赤色。斑がある。「その他7 べっ甲サンゴ飾り簪」に用いられている。

4.シロサンゴ Corallium konojoi
主な分布域は、南日本から台湾近海、水深100-300m。骨軸の色は白色。

5.深海サンゴ Corallium spp.(複数種)
主な分布域は、ハワイ・ミッドウエー近海、水深300-1500m。骨軸の色は、薄い桃色、白色と桃色が混じりあうものあり。


青木 千里さん

今回も講師、幹事はじめご準備頂いたみなさまに感謝いたします。ありがとうございました。

第2回のハンドリングは前回に比べ素材だけでなく、デザインや技法も凝った物が増え勉強が深まりました。

1)「7-2-11」の小振りの簪はよくよく観察するうちにテーマが「松竹梅」であることがわかったり、黒っぽい地金の部分が一体何なのか皆さんの意見が色々出て、グループでのハンドリングの醍醐味を味わえました。
「赤銅」か 「四分一」か「鉄に漆」か「錆付」なのか?それぞれ推察の根拠も伺い、明解な答えは出なくても、謎解きの楽しさを共有でき幸せです。

2)二辺にだけビラの下がった「7−3−2」の箱迫用簪ですが、その後調べておりましたら同じ形の簪が入った紙箱に「田楽形簪」という商品名がスタンプされた物に出会いました。

ハンドリングの他には、毎回露木先生の膨大な知識の一端に触れる事ができ、ジュエリィを取り巻いた諸々の出来事にますます関心が強く持ちました。
「戒指」は中国後宮の慣習に由来する事、遊女の指切り、彫金師と飾り職の住み分け、小間物商のお話などわからなかったことがスッキリ氷解!テキストやハンドリング以上の収穫に次回も期待しております。

* 「ロシアでは何故結婚指輪を右手薬指に嵌めるか」というお尋ねがありましたが、只今鋭意調査中です。*


奥田 文子さん

第二回は、簪を中心に、精緻な細工のものをハンドリングさせていただきました。

その中で印象に残ったものは、7−2−7べっ甲大耳簪と、7−2−9サンゴの玉簪というシンプルな2点でした。

7−2−7  べっ甲大耳簪は、大きすぎる耳掻きと太くて短い姿が、思いのほか愛らしく、手に取った感触は心地よいものでした。写真だけではコミカルな印象さえ受けましたし、『歴世女装考』では大きな耳掻きを皮肉られてもいます。しかし実際手にしてみると、手軽に存在感を高めてくれる、おしゃれで使いやすいものだったのでは、と思うようになりました。

一方の、7−2−9 サンゴの玉簪は華奢で上品です。銀製の簪にトンボと花が描かれ、金メッキ(金消し)が施されていました。トンボということで季節は秋、花は桔梗に見えました。サンゴの玉簪は大流行したということなので、それぞれ意匠を凝らし、小さな変化をつけて差別化を図っていたのでしょうか。派手さはありませんが、流行に左右されず、女性なら一つは持っていたい定番のアイテム、という印象でした。

今回も、女性の身を飾ることへの熱意、それに応える職人の技術力の高さを、改めて感じることができました。


角元 弥子さん

下記、第2回の研究会でハンドリングさせていただいたものの感想です。

No.7-2-3(平打かんざし)

鳳凰に松、源氏雲、と、吉祥の意匠の平打かんざしです。
合計6箇所の、小さな丸い象嵌が施されています。
よく眺めていると、6箇所は片方に寄っており、6箇所には貫通穴があり、穴として使われた形跡があります。
そのことから、元々は筥迫に差し込んで使うタイプのびらびら簪なのではないかと思いました。
意匠のおめでたさから言って、婚礼用衣装の胸元をかざるために作られたびらびら簪を、婚礼儀式後に通常のかんざしに作り替えたものではないかと推測しました。

No.その他11 水牛の蹄(ひづめ)

最近知ったのですが、インドではメジャーな宗教(ヒンズー教)上、牛は神聖な生き物とされ食用や屠殺が禁忌される一方、 水牛は別種の扱いで、日常的に食されており、食肉として輸出までしているとのこと。
江戸時代にインドと日本の交易がどのくらいあったのかまだ調べていませんが、 日本で水牛爪に特に需要があるようであれば、他のものと一緒に輸入されていた可能性は否定できないと思いました。

以上です。

次回楽しみにいたしております。


小宮 幸子 さん

第2回ゼミの感想をお送りします。

素材も技巧も凝った、高価そうなものから、庶民が日常使っていたと思われるものまで、実に多様な簪が存在していたことを実感しました。当時の女性にとって、簪はそれほど装いに欠かせない必需品であったということでしょう。自由を獲得してきた女性たちの、もっとお洒落をしたいという情熱が、時代を超えて伝わってくるようでした。

今回ハンドリングした中で印象に残っているのは7-2-11 鉄の松葉簪です。

一見すると、小さく、細くて、黒く、地味な印象です。黒髪に挿しても目立たないので、白髪のご年配の女性のものだったかもしれません。ですがよく見ますと、何とも渋い存在感に変わっていきました。全体の形は松の葉、掻軸部は竹の節、そしてわずか幅5ミリほどの鏡部には金の布目象嵌で梅の花、と松竹梅の意匠が表されているのです。着けている女性だけが(もしかしたらその簪を贈った男性も)知る喜び、これ見よがしではない粋なお洒落を感じました。

また今回は模造サンゴ「明石玉」(その他2)を手に取り、鉛が仕込まれた内部の構造まで拝見できたことは貴重でした。擬甲と同様、模造サンゴに対しても「偽物」というネガティブな感覚は当時なかったように思います。現代の女性たちが、フェイクパールやスワロフスキーがあしらわれたアクセサリーを、ファッションに合わせて気軽に楽しむのと同じように、サンゴ=赤い玉のついた簪は、江戸後期流行のファッションアイテムの一つとして求められていたのでは、と想像されるからです。様々な模造サンゴが作られた中、明石玉は最も普及し、ある意味ブランド化されていたようです。良質で高価な明石玉は中国にまで輸出されていたそうですから、さながら江戸後期のスワロフスキーと例えては大げさでしょうか。

毎回初めて目にするもの、聞くことが多く、楽しい時間です。
それでは次回も宜しくお願い致します。


沢村 つか沙 さん

その他8−象牙サンゴ飾りの彫金の葉にある虫食いについて

着物の模様にも虫食いを取り入れたものがありますので。お知らせします。

友禅模様では葉の虫食いは加賀友禅特有の模様です。
京友禅は元禄時代から、といわれているのですが、 加賀友禅は、独自の友禅があった後に京友禅の技術が 入ってきてより発展したといますので、その虫食いが 元禄時代以降がどうかは、私の調べるかぎりは定かではありません。

資料ご確認ください。


伊藤 葉子 さん

今回のゼミの内容を簡単にまとめ、アントワープでお世話になったフランス人講師にシェアしたところ、彼女が特に関心を持った2点についての、私の感想です。
2点とも、日本を起点にそこからもっと広い範囲へと興味が広がる作品だったのが印象的でした。

「図7-5-1 喜多川歌麿 当世女風俗通 北国の契情」(図版)

なぜ当時の日本では右手の小指に指輪をはめていたのか?
当時、遊女は客への心中立て、すなわち相愛の誓いとして小指を切るという風習があり、指輪はその代替行為として始まり、やがて男女の愛情や約束を表すようになったのではないか。また、遊女は当時ファッションリーダーでもあり、そこから一般女性も真似て指輪が広まったと思われる。
あわせて、古代中国の王宮における「戒指」の慣習についても知ることが出来、各国の指輪に纏わる慣習の違いをもっと広い範囲で探ってみたくなりました。

「その他8 珊瑚、象牙、虫食いの葉の彫金の飾り簪」

日本の影響を受けたアールヌーボー作品の中にも、枯葉をモチーフにしたものはあっても、虫食いまではないだろう、と思って探したら、Lucien Gaillard作、角(水牛の?)、金、真珠層、ダイヤモンドからなる櫛がオルセーにありました。
添付写真参照
美しいものの象徴であるジュエリーに、虫食いまで忠実に再現する美的センス(?)は、日本の影響がなければヨーロッパではありえなかっただろうとしみじみ感じた作品でした。

今はまず日本のジュエリー文化史についてきちんとした知識を得ることが最優先ですが、ゆくゆくは対象範囲を広げ、比較文化的な研究へと発展できたら、と強く感じた第二回ゼミでした。次回も楽しみにしております。


石井 恵理子 さん

多くの皆様が感じられたようですが、私も7-2-11(銀の松葉簪)が個人的に一番心が動きました。

渋く決して派手でないその姿は、見れば見るほど味があり、媚びない凛とした美しさを感じました。

自分がそれなりの年になってきた証拠なのか、派手に着飾ることが全てでない、内側から囁くように、でもしっかり呼び止められる、そんな作品でした。

簪各部の名称も伝統的に人体の部位で、表現されていることも面白いと思いました。

 




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